映画「インサイド・マン」2006年06月11日 18時20分00秒

 今日はOS劇場にて「インサイド・マン」観賞。銀行強盗ものなのだけど、現金には一切手をつけず、人質を一人も殺さないこと、そして最後のあっと驚く結末に至るまで実に見応えのある作品でした。

 通常の映画なら犯人は捕まってめでたしめでたしなのでしょうが、そうさせなかったところや、担当の黒人刑事の昇進への駆け引き等、建前よりも本音といった感じの部分がそこかしこにあり、うん、現実ならそうだろうなと思わせられます。

 先の大戦時のナチによるユダヤ人迫害のどさくさに紛れて財産をかすめ取った男への復讐とニューヨークの人種問題もそれとなく絡ませているところなど、この作品を作られた方の考え方がそこかしこに見受けられる作品でした。

 と、ここまで書いてきてハッとしました。会社を辞めてから最近の映画観賞回数の激増ぶりを考えると、自分自身が「シオンの議定書」の「3S」へ見事にはまってしまっているのに気づいたのです。

 3Sとはもちろん、「スクリーン」「スポーツ」、「セックス」の頭文字の略で「ユダヤプロトコル」とも言われる「シオンの議定書」の核心(?)部の事。

 人々をこの3S漬けにすることで、愚民化を進める計画の事ですが、9日から始まったワールドカップに夢中な人々等、自分自身を含めて見事なまでにその術中にはまってしまっているようです。(特に最近の日本人!)

 映画はまだ考える部分があるなどと言い訳したくもなりますが、視覚から入る情報・刺激は読書などと違い、思考能力の向上にはあまり役立たないかも知れません。(娯楽作品ならなおさらですね!)

 やはり「スクリーン」も他の2つと同様、思索力のない人間を作るのに使われていると言われても反論できないかな?

 いずれにせよ、考える事を放棄した人間にだけはならないようにしなければ・・・