禅の十牛図2007年07月28日 19時18分42秒

 20数年前、真言(マントラ)を毎日唱えていて脳内に光を感じたとき、心の進歩が伴っていないと危険だと感じて座禅の日課を中断した理由の1つに、「十牛図」があるかも知れません。

 「十牛図」とは、禅において本来の自己を探し求める旅、つまり悟りへの道程を表現するために用いた説明図です。

 それを知ったのはバグワン・シュリ・ラジネーシの「究極の旅」(めるくまーる社刊)という本からでした。

 十牛図では真の自己を牛にたとえて、その牛を求め(尋牛、見跡、見牛)、捕まえ(得牛)、馴らし(牧牛)、求める自分と牛とが全く一つとなり(騎牛帰家)、最後にはそれさえも忘れて只の生活ができる(忘牛在人、人牛倶忘、返本還源、入てん垂手)過程を画で示しています。

 今思うに、この本の内容が頭の片隅にあったため、チャクラの開発など超能力ばかり追い求めて、肝心の真我をみつめることを怠たると危険だよと心が教えてくれたのかも知れません。

 さて、バグワン師は存命時には毎日のように講話されておられたそうで、その中から10日間にわたって講話された分が本書になっています。

 もともと、十牛図は八牛図からなり、仏教ではなく道教に由来していたそうです。それを中国の禅のマスター廓庵が書き直し、更に2つの図を付け加えて十牛図となったとのこと。

 元々は第八図の「空」、「無」で終わっていたものに、そう、世間を捨てるだけで終わってはだめだよとばかり、世間に戻ることまでも加えて、空っぽでおわらない、より高みを与えたものとなっているのです。

参考までに第一図と第二図の訳詩を転記します。興味のあるかたは残りは本を探して見て下さいね。インターネット上でも様々な形で紹介されていますから、「十牛図」で検索されると新しい発見があるかも・・・。

 一.牛の探索(尋牛)

 この世の草原に私は牛を尋ね  果てしなく、高い草をかき分ける

 名もない川に従い  遙かな山々の入り組んだ路に迷う

 力尽き元気も涸れ  求める牛は見つからない

 聞こえるのはただ  夜の森に鳴く蝉の声ばかり

 二.足跡を見つける(見跡)

 川べりの木々の下に  私は足跡を発見する!

 かぐわしい草のもとにさえ  彼の足跡はある

 人里離れた山奥深くにも  その足跡は見つかる

 これらの足跡はもう  天を見上げる自分の鼻づらほどにも隠れてはいない

     (究極の旅より)