本日のトレードと映画「鳶がクルリと」2005年10月12日 18時16分14秒

 今日は朝方、「みずほ」の板の気配が良かったので、欲張って741,000円で4株売り返済注文をだした。

 735,000円で寄り付いた後、737,000円から下落基調になったが、724,000円で反転上昇しはじめた。そこで欲をかいて指値を743,000円に変更してしまったのが失敗。午後、外出の間に742,000円まで上昇したものの、その後下落し、結局、前日比1,000円安の720,000円引け。

 その他の売り返済注文もすべて未約定であった。よって、本日の確定利益は無しです。

 そのかわり、買い注文の方は「オリコ」501円、5,000株約定(終値499円)。「京セラ」7,770円、300株約定(終値7,800円)。

 そして、注力銘柄の「三井製糖」が21円高の505円引けとなり、含み損がなくなってにんまり。でも、「住友金属鉱山」が12円安の1,053円となったのが残念!(昨日50円高だったのだから、この程度の下落はしかたないかな?)

 午後の映画は道頓堀東映で「鳶がクルリと」を鑑賞。観月ありささん主演の人情コメディー(?)。ネット上での評判はあまり芳しくないようですが、十分楽しめましたよ。

 とび職の中の紅一点、通山愛里さん、誰かに似ているなと思ったら、そう、「下妻物語」の土屋アンナさんに雰囲気が良く似てました。公式ホームページで調べたら未だ16歳。これからの飛躍が楽しみな女優さんですね。

 観月ありささんは、昨日から始まったTVドラマ「鬼嫁日記」にも主演される等、大活躍されてますが、最近はコメディーっぽいのが多いですね。

 また、別の面も見せてもらえたら芸域も広がり、女優としても大成するように思うのですが・・・

本日のトレード2005年10月13日 15時54分20秒

 今日は寄り付きの気配が軒並み売り気配だったので、少しビビリました。

 ただ、逆に買いチャンスでもあるので、「京セラ」を成り行きで300株買い注文。

 「住友金属鉱山」(以下、住友鉱山と略)も成り行き買いしようと思ったら、京セラの注文で手間取ってるうちに住友鉱山が39円安の1,014円で寄り付いて買いそびれてしまった。

 京セラは130円安の7,670円で寄り付いた後もズルズル下落したのに、住友鉱山はすぐに1,030円付近まで上昇。注文の順番を逆にすれば良かった。(トホホ・・)

 これらに手間取ってるうち「みずほ」も前日比12,000円安の708,000円で寄り付き、714,000円付近まで上昇してしまった。

 何とか713,000円で5株買えたと思ったら709,000~715,000辺りをうろうろしている状態。

 更に5株買いたかったが、他の銘柄にもたくさん買い注文をいれており、信用枠が残り少なくなったので我慢した。(結果論で言えば我慢せず買えば良かったのだが、やはり信用枠パンクを考えると怖い)

 返済注文を716,000円にして後場に持ち越した。ところが、後場に入ると銀行株が突然急上昇、指値変更も間に合わず、あっという間に716,000円で約定。14,000円の利益。

 約定後も736,000円まで上昇するなんて、喜んでいいのやら、自分のドジさ加減を責めたいやら、複雑な気持ち・・・。

 その他の取引としては「三井製糖」512円で5,000株売り返済。34,000円の利益。

 買いの方では、上記の「京セラ」7,670円の他、7,570円でも300株買い、「オリコ」492円、5,000株と491円、5,000株、「UFJニコス」855円、6,000株、「三洋電機」272円、5,000株(現物株)とたくさん買ってしまった。

 安くなると、つい、いつもの買いたい病が発症するみたい・・・。

 本日の確定益は4万8千円。含み損益全体(資産の増減)では前日比9万円のマイナスとなりました。

本日のトレードと映画「メトロで恋して」2005年10月14日 20時01分37秒

 今日は第二金曜なので日経平均先物などが清算されるSQ(特別清算指数)の日。この日は、寄り付きの気配がめちゃくちゃになりやすいのを判っていながら、つい油断してしまった。

 いつもの「住友鉱山」、1,017円付近の安い気配だったので、つい、成り行き買い注文。

 直前まで安いままの気配が、寄り付く瞬間に急上昇。前日比3円安の1,040円で寄り付き、結局寄り付き天井を形成。あ~やっちゃったー!!

 今日は新たに昨日、無機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)の材料で大きく上げた「クラレ」にも注目、気配値が安かったので上記と同様に成り行き買い注文。ところがこちらも開始後、気配値をどんどん上げていって結局40円高の1,091円で寄り付いてしまった。その後、下落し終値は1,049円。

 こんな調子で買い注文はほとんどすべて失敗でした。

 なんか、やることなすことがちぐはぐ。でも、クラレはストロングホールド予定だからまあ、いいか~。

 なんといっても、今回の無機青色ELはすごい。、青色発光ダイオード(青色LED)を凌ぐほどの大発明だと思います。

 有機ELは携帯電話などですでに実用化されてますが、大画面にするには寿命等の点で問題があるため、液晶やプラズマディスプレイには勝てないといわれてます。

 でも、今回の無機ELは従来品に比べ、3,500倍の輝度を持つ上、25,000時間以上たっても劣化しないほどの高寿命ですから、液晶ディスプレイ用のバックライトをはじめ、いろいろな展開が考えられます。

 その上、面発光ですから点発光の白色LEDより薄型大画面ディスプレイに向いてます。

 なんといってもそれ自体が発光するのですから、光源が必要な液晶TVにそのうち、取って代わるかも?

 詳細はクラレのホームページに詳しく書かれてますので、関心のある方はごらんになってください。  (10月12日付けリリース「超高輝度無機EL発光材料の発明と次世代光源の共同開発について」)

 何年か前、青色LEDで8,000円台になった豊田合成みたいにならないかな~

 つい、脱線してしまいました。

 本日の結果です。買いの失敗や住友鉱山20円安、みずほ15,000円安、京セラ80円安などが響き、総資産評価額は前日比70万マイナス。

ただし、上昇した三井製糖の利益確定売りで43万円の確定利益を得ました。

 午後観た映画は「メトロで恋して」。地下鉄で出合った男女が恋におち、結婚を決意して健康診断を受けたところ、愛する彼女がHIV陽性と判明。

 こういった展開でいったんは別れた二人ですが、やはり彼女のことが忘れられず・・・

 何か重いテーマですが、女優さんがとてもきれいで明るく、テーマの重さを忘れさせてくれました。

私がネットトレードを始めた訳2005年10月15日 16時34分54秒

 今日は久しぶりに日本橋へ行き、MD50枚購入。これで1~2か月は在庫不足にならずにすみそうです。

 DVD-Rも購入したかったのですが、あいにくの雨、手荷物をあまり増やしたくないので今回は購入を見合わせることにしました。

 で、早々に帰宅して留守録してたMDを聴きながら、本稿を書いてます。

 さて、本題の「私がネットトレードを始めた訳」ですが、たしか1999年の秋ごろだったように思います。証券会社の手数料が自由化されて、それまでの1%位の手数料が劇的に下がり始めたことがきっかけでした。

 20代の頃に一時、証券会社に口座を開き何回か株式の売買をしていましたが、手数料の高さがネックとなり、そう簡単に売買できる環境ではありませんでした。

 なにしろ、300円位の株を1,000株売買するのが精一杯だったのですから。その30万円位の取引で片道で1%以上も手数料をとられると、最低でも10円は値上がりしないと利益がでません。

 ですから、売買頻度も月に1回程度と少ないものでした。 そして、1983年に現在のマンションを買うときの頭金のために、株を売り払ってから、株取引からは遠ざかってしまいました。

 それが、手数料自由化で、オンライン証券会社が続々と誕生し始めたので、再度関心を持つようになったのです。

 そして、極めつけが2000年のITバブルです。そう、ヤフーが1株1億円などととんでもない値段をつけた年です。

 当時勤めていた会社もヤフーとほぼ同時期(1997年秋)に上場したのですが、そのとき1株200万円位でヤフー株を買った人たちは、たった3年足らずで1億円を手にしたのです。

 その頃、社員持ち株会で自社株を持ってましたが、上場前に1株700円で買ってた株が上場時には500円台、2000年当時は300円台でしたから、銘柄選択がいかに重要か、わかりますね。

 あの時、思ったものです。実はヤフーは上場前から知ってました。インターネットが普及し始める頃、YAHOO!という検索サイトの講習会みたいなものを受けたことがあったのです。

 そのときヤッホーと読んでたら、説明の人がヤフーと読むのですと言ったことを今でも覚えてます。

 そう、これからはインターネットの時代なんだと、あのとき思ったのに、ヤフー上場を知らなかったのです。あのとき株取引をしていれば見逃すことは決してなかったのに・・・(タラレバ・・・)。孫正義さんはエライ!!

 2000年頃からは以下の環境が徐々に整いはじめてました。

 ・ADSLによるインターネット常時接続

 ・オンライン証券によるネット取引

 ・自由化にともなう手数料の劇的な値下がり(1%→0.1%位へ)

 これは、再度、株取引にチャレンジするチャンスだと思いました。 収入の手段を確立できれば、会社を辞めて自由にやりたいことが出来る。 そうだ、今のうちに株売買で収入の道を確保しておこう!そう決めたのです。

ということで、2001年から口座を開設し、株取引を再開。でも、再開の時期が悪かった!!(トホホ)

そう、ITバブルの崩壊に伴う株価の下落時期に重なってしまったのです。 もっとも、2000年に始めてたらもっと悲惨だったでしょう。そのときがピークだったからです。

 買った株は値下がりの連続、預金を取り崩して、つぎ込めどつぎ込めど損失が増える一方。最後には虎の子の定額貯金まで解約する始末。おかげで、少しくらいの損失にはビビらなくなりました。(笑)

 でも、損する中でネット取引で食っていける可能性は十分あることが判ってきました。ですから、2002年秋、希望退職募集があった時には躊躇なく応募することが出来たのです。

 2003年は4月に日経平均大底をつけた年ですから、所得がマイナス40万強と利益こそ上げられませんでしたが、持ち株の含み損をかなり減少させることが出来ました。

 そして11ヶ月間の失業保険のおかげで無事過ごすことができました。

 2004年は株価上昇の恩恵を受けて、それまでの累積損失を一婦できた良い年でした。

 そして、正念場の2005年を迎えたわけです。今回はとりあえずここまで。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」2005年10月16日 21時04分48秒

 今日は友人に誘われ、中央公会堂で開催される「ALWAYS 三丁目の夕日」試写会に行った。

 前半、「スペシャルオリンピックスの魅力」と題してNPO法人スペシャルオリンピックス日本の理事長 細川佳代子さんの講演があった。

 判りやすく話された事と、その理念の普及にかける情熱、熱意には感心させられた。(細川佳代子さんは細川元首相の奥様)

 日本人は結局、自分が一番可愛いので、得にもならない面倒なことには関わりたくない人が多いという指摘は、自分にも当てはまるだけに、かなり耳に痛かった。(許して・・・)

 講演の後、「三丁目の夕日」の試写会、2時間13分と結構長い映画でした。ビッグコミックオリジナルに現在も連載されている長寿コミックを元にした作品です。

 昭和33年、ちょうど建設中の東京タワーを背景に、下町を舞台とした人情味あふれる、ほのぼのとした映画でした。

 集団就職、三輪自動車、駄菓子屋、白黒TVの力道山プロレス中継、そしてフラフープ、またたくまに小学校2,3年だった当時にタイムスリップしてしまいました。

 懐かしさをおぼえ、ほっと心安らぐのは、年をとったせいだけでしょうか・・・。ひょっとしたらあの頃が、みんな経済的には貧しくても、一番心豊かな時代だったのでは・・と、ふと思ってしまいました。